驚くべき写真を入手しました。 な、なんと海軍短12cm自走砲の内部写真です(゚o゚)。
σ(^^)が入手したのはコピーだったので写真も不鮮明ですが、それでも貴重な資料です。
日本戦車のバイブル「日本の戦車」(原 乙未生・栄森
伝治・竹内 昭 共著 出版協同社 刊)にも
「海軍で試作した自走砲で九七式中戦車改の砲塔を装備している。同芯式の駐退機付きなのが珍しい。少なくとも4輌が完成し、終戦時佐世保に置かれていた。」としか記述されていません。
しかし、σ(^^)の掲示板に Zidさんから素晴らしい情報がありました。
本日、海軍陸戦隊の研究を行っている友人と会いまして、本土決戦時の海軍の戦車部隊である
「横須賀第十六特別陸戦隊」の情報を教えていただきました。
横須賀第十六特別陸戦隊(以下「横十六特陸」)ですが、海軍の陸戦教育のメッカである「館山砲術学校」
の「戦車隊」を母体にした部隊で、2個大隊編成であったそうです。
編成は、以下の通りです。 一説によると第二大隊隷下の2つの中隊本部には「特三式内火艇」1〜2両が
有ったとの証言もあったそうです。
第1大隊 第1中隊 九七式(新砲塔チハ)中戦車 10〜11両
第2中隊 十二サンチ砲搭載チハ車 10両
第2大隊 第1中隊 特二式内火艇 10両
第2中隊 特二式内火艇 10両
上記のように佐世保で確認された4輌の短12cm自走砲の他に、横須賀に10輌あったことが確認されています。
もしかするともっと多くの台数があったかもしれません。
しかし、無い無いと言われていた日本戦車の情報って探せばある物ですね(^^)。
3/12付記 早速Takiさんから海軍の短12cm砲についての情報を頂きました。
戦争の激化により、商船を武装するための簡易型急造用の高角砲が
設計、生産された。短20cm砲、短12cm砲がこれである。設計は1942年9月から開始され、1943年3月に試作第1号が完成、短20cm砲はTL型船など、短12cm砲はTM型などに搭載された。特徴は中程度の技術レベルの会社でも生産できたことである。
短20cm砲は推定12口径、仰角65度で在来の概念からは高角砲とは呼べないが、目的は対空用で最大射程3300m、発射速度は1分間4〜6発である。
短12cm砲は推定12口径、仰角75度、最大射程2400m、発射速度7〜12発/分である。
生産状況は1944年度のみしか判らないが、短20cm砲69門、短12cm砲328門である。
3/16付記 じゃむ猫さんから短12cm砲の諸元を頂きました。
制式名称「短十二糎砲」 諸元(商船 装備時)
全重量(設営): 2000kg (内)砲身: 218kg
砲架: 1467kg 弾丸重量: 13kg 弾薬包重量:
17kg
最大射程: 2400m 俯仰角:+75~-15度
最大とう圧:
7.0kg/mm2 初速(常装): 290m/s (弱装):
200m/s
装薬重量: 490kg 発射速度: 7〜12発/分
操作人員: 5人 俯仰速度: 13度/s
旋回速度:
13.5度/s
価格(1943年): 5000円
遠藤昭著「高角砲と防空艦」より引用
2000/10/28付記 陸戦屋さんからの投稿
短12p自走砲ですが、横須賀第16特別陸戦隊第2大隊第2中隊所属の同車は、 同第1中隊所属の97式中戦車改と共に現藤沢市辻堂で終戦を迎えています。そして、
一度は横須賀市衣笠地区に移動しましたが、厚木航空基地の第302海軍航空隊の反乱
事件に際しては、厚木基地の滑走路を第2大隊の全車で閉鎖し、302空の飛行機の離陸を阻止するよう命ぜられました。この命令により、事前に第2大隊長と第1・第2中隊長ほか数名が戦車で厚木基地付近まで潜入し、夜間徒歩で飛行場内を偵察したそうですが、翌日陸戦隊の厚木攻撃が中止となった.
(以上、元第2中隊長の証言より)。
上記の短12cm自走砲の所属部隊が「横16特陸第2大隊」とあるのは「第1大隊」の誤りであることが判明しております。
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